伝説 平将門

平将門伝説

日本には、数々の武士伝説が存在します。
そのなかでも平将門ほど、伝説の豊富な歴史上の人物も少ないでしょう。
多くの神社に祀られる、伝説的な実在の武将です。

平将門は、平安時代中期の関東の豪族です。
下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷に対抗して独自に天皇に即位して「新皇」を自称した事によって、遂には朝敵となります。
しかし即位後わずか2ヶ月たらずで討伐され、死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られます。
平将門の出現は武士の発生を示すとの評価もあります。
関東一円では、武芸に優れているばかりでなく、世に受け入れられない者の代弁に努めたという将門は、その壮絶で悲劇的な死もあって、後世に逸話や伝説として人々に語り継がれました。これは、将門が、重い負担を強いられ続けた東国の人々の代弁者として捉えられたためとも言われます。

中世、平将門を葬った墳墓の周辺で天変地異が頻繁に起こることがあり、これを将門の祟りと恐れた当時の民衆を静めるため、1309年(延慶2年)には神田明神に合祀されることとなります。

神田明神は戦国時代の太田道灌・北条氏綱等の武将が武運祈願のため崇敬するところとなり、さらに関ヶ原の戦いの際には徳川家康戦勝祈祷を行いました。このようなことから、江戸時代には江戸幕府により、平将門を祭る神田明神は江戸総鎮守とされました。
将門の評価は、古代の朝敵から、中世の崇敬対象へ、さらに明治時代は天皇への逆賊視、ついで戦後の英雄化と、時代によって激しく揺れ動きました。

近年では、作家村上春樹による将門伝説の詳細な研究もあり、注目されています。

▲topback



当ホームページの情報を利用して起きたトラブルに関して当サイトは一切の責任、保証を負いません。